~なぜこの時代に自主保育~
小林真依
私は、2歳からの4年間と小学校の6年間を(小学生向けに月に1回山や川で遊ぶ活動があるため)ずっとコロの仲間たちと過ごしてきました。そして今は、かつて私を育ててくれたライオン、泉、もとちゃんと一緒に、今度は私が子どもを育てる側となってコロにいます。そんな私が考える自主保育とは、親が子どもを育てる権利を存分に発揮できる場であると考えています。
畑で野菜の種を撒く。左手で種を持ち右手でそれをつまんで土に置く。大人からすればなんてことのない動作です。でも子どもからすると、右手で種をつまみ土に置き、もう一度種をつまもうとすると左手の種は、全てこぼれている。これが、コロに来たばかりの3歳の春の事です。左手と右手、どちらにも注意を向けて、何かを行うことが難しかった子が、1年後の今では「これは何のお野菜になるの?」と話をしながら種を撒けるようになったんです。
文章として書けば、この程度で終わってしまいます。しかし実際は、どこまでできるのか、その先に進むためにはどうしたらよいのか、どんな風に言葉をかけたら良いのかをその場にいる大人全員が考えて行動した結果の「できるようになった」なんです。そこに至るまでに、様々なやり取りがあって物語があるんです。コロは、その物語を自分の子どもだけではなく、他の子や子育て仲間、保育士とも紡いでいける場です。「いつの間にか、こんなこともできるようになったんだな。大きくなったな。」で終わってしまうのは勿体なく感じます。
もっともっと踏み込んで、「あんなこともあってこんなこともあって、なんで!!って思ったこともいっぱいあったし、どうしたら良いんだろうって困った時もあったけど、色々なことができるようになったんだね。大きくなったね。」と子どもと共に、酸いも甘いも噛みしめた数年間の人生の成長を感じて欲しいです。コロでの子育ては、1人ではなくみんなでみんなを育てる場なので、「もうだめかも…」と思ったら助けてくれる人はいっぱいいます。1 人じゃないとみんなが思わせてくれます。
私はまだ、コロに就職してから1年半しか経っていません。保育時間も4時間で、小学校と同じように春夏冬と長期の休みもあります。しかし、実際に触れあっている時間以上に活動が終わった後に、子どもたちのことを考えています。保育士同士の話し合いであったり、親との話し合いであったり。日常生活の中でも、あの子の怪我の具合はどうだろうかとか、あの時のあの子面白かったなと、どこかには子どもの姿を思っている自分がいます。だからこそ、子どもたちとそれはそれは濃い、生活をしていると胸を張って言えます。コロは、母さん(父さん)たちに代わって子どもを保育する場ではありません。母さん(父さん)も頑張るから、あなたも保育園頑張ってねと見送る場でもありません。なぜなら、コロはその日来た母さん(父さん)と保育士と子どもたちで、その日を一緒に過ごすところ。生活するところだからです。頑張って行く場所であってほしくないと、考えています。保育士が、子どもの遊ぶ環境を作ったりしません。子どもの遊びは、大人が考えた手のひらで収まるようなものではありません。もちろん、今日つまんなかったなと思う日もあるでしょう。でも、つまんない日があったっていいじゃんと思うのがコロです。子どもたちは、お客様ではありません。私の仕事は何なのか。まだ、自分の言葉では説明できません。それでも、子どもを楽しませることではないことは確かです。
「この時代になぜ自主保育」の答えにはならないかもしれませんが、子どもを育てる権利に時代も何もないのではないかと思います。小学生になれば、親の手を離れて親とは別の世界を持つようになります。だからこそ、その子の世界を共有しながら、今しか味わえない成長の喜びをコロで感じてみませんか?コロなら、子どもの隣の特等席で、子どもの世界を見ることができますよ。家で、子どもと二人でいるのはつまらない、疲れるから早く預けたい。自分が思っていた子どもとの生活ではない、と感じることもあるかと思います。けれどそれは、子どもの持つ面白さに、まだ気づけていないのかもしれません。自分と子どもの一直線の関係で、関わり方や子どもの行動の意図を教えてくれる人はいません。命を懸けて生んだ、我が子が見ている世界を、自分の眼で見ずに他から聞いた情報だけでいいのでしょうか?百聞は一見に如かずということわざ通り、時に見守り時に笑い悲しみながら一緒に子どもを育てていきませんか?
コロは春夏秋冬の季節を通して、人と植物と虫と様々な生き物の自然の関わり合いの中で子どもを育てます。死んでしまったミミズからも、お水を飲まないとこんな風に干からびてしまうのだと学びます。自然からは本当にいろいろなことを、教わります。コロの保育者は、保育士や親だけではなく、ごく身近にある自然もその一部だと思います。自分以外のあらゆるものが師であると実感できるコロに、ぜひ一度足を運んでみでください。
コロの子育てに一点の悔いなし。感謝あるのみ。(母)
